ウリという共同体
韓国語には「ウリ」という言葉がある。
直訳すると「私たち」という意味だが、
使い方が日本語と少々異なる。
例えば、以下のように表現する。
自分の国を ウリ ナラ(私たちの国)
自分の会社を ウリ フェサ(私たちの会社)
自分の家を ウリ チブ(私たちの家)
自分の彼女を ウリ ヨジャチング(私たちの彼女)
自分の息子を ウリ アドゥル(私たちの息子)
相手が二人称の中に属していなくても、この表現を使う。
日本人の私が子供がいる韓国人の友達に「息子は何歳?」と聞くと、
「ウリ アドゥルは5歳よ」と答える。
このウリという表現は、自分ひとりだけのことではなく、
共有している、共同体であるという感覚も含んでいるようだ。
国も会社も家も、自分1人が存在しているものではなく、
自分だけのものではなく、他人と共有しているものである。
子供も自分だけのものではなく旦那のものでもある。
彼女だってカップルであることはつまり相手がいることである。
ウリという言葉を上手に利用するとマーケティングが成功すると
新聞で読んだことがあるくらい、いたるところでウリ表現が使われている。
ウリ銀行、ウリ党、ウリ牛乳・・・
韓国に住んでいる外国人がテレビに出ていた時に、
韓国ので思った不思議な事を話していた。
「韓国人は何でもウリを付けて話す。
何でも自分の物にしたいのか!」って。
同じ外国人である私には、とてもよく気持ちが分かる。
個人主義、客観主義の日本人から見ると、韓国人的発想は、
「君のものは僕のもの、僕のものは君のもの」に感じる時がある。
しかし、韓国人から見ると、「共同体や助け合い」の意味から
ウリを使用しているようだ。
しかし、ここに来て問題がある。
いつから、その共同体である「ウリ」のメンバーになれるのか?
特にウリ ナラ(私たちの国)の使用は難しい。
日本人が日本について話す時には
「日本ってさ~」という。
しかし、韓国人が韓国について話す時には
「ウリ ナラってさ~」という。
恐らく何年住んでも韓国国籍を取得していても、
私に韓国人の血が入っていない限り、
私が「ウリ ナラ」と言っても、それが韓国を指しているとは
誰も認めてくれないんだろうな。
共同体の考え方は身内に優しく他人に厳しいものなのかもしれない。
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